先日の仕組100%サロンに続いて考えてみたけど、仕組100%サロンも人材の選別は必要。
マニュアルを100%遂行できる事が前提。
マニュアルだけでは担保できない品質を保つための基礎技術。
誰でも雇えるわけではない事に気がついた。
結局は教育サロンの存在があっての仕組サロン。全くの素人が出来るわけがない。当然といえば当然。仕組サロンではないけれど、フリーランスや面貸しサロンで働く人だって、自分1人の力で成長出来たわけではなく、教育サロンのベースがあり今がある。
教育サロンが教育を放棄したら完全に負け。何も出来ない人が溢れてしまう
教育サロンとうたうと、何か上から目線的な聞こえ方もするかもしれないけど、何も出来ない新卒美容師と出会いサロンに入り、何も関わらず放置したらどうなるだろう。
自主性に任せて成長したはするのだろうか?
僕自身が見てきた中で自主性を持ち、トレーニングに励んだスタッフなんて数人しか見たことない。
右も左もわからない若者に対して自主性なんていうのは荷が重い。
ある程度のレベルまでしっかりと案内してあげなければ迷ってしまう。無駄に時間だけが過ぎてしまう。
うちのサロンもしっかり関わり教育する事ができたスタッフは独立しサロンオーナーになったり、他のサロンへ移り活躍するしている者もいる。
残ってもらえなかった事は残念だけど、活躍してしてくれている事は嬉しい。
皆、美容師としてお客様に提供できる何かを持っているという風に捉えることができる。
しかし、ここ数年は何かに気を使いすぎて、入店してくれたスタッフに対し、教育の提供はしっかり出来ただろうか?と反省する毎日。
拘束時間、若者の体力的問題。社会の目。
そんなことを気にし過ぎて、美容師を楽しむ前にも去っていったスタッフもいる。
そして、去っていくスタッフはまだいい。
今後、何も出来ないのに美容師を続けるひとがもしいたら、教育をしてあげられなかった責任を強く感じてしまう。
その人にとっても良くならないし、サロンにとっても良くない。
自分自身も高卒上がりで美容師になり、諸先輩に教育していただき、今がある。
同じことを、現代風に伝えていかなければならないときにきている。
美容師の楽しみは『変化に対応する事』時代性、世代別、流行。そこには常に教育や学びが必要
美容師を20年以上つづてけてると、感覚の変化の連続。そうしか感じない。美容師が若く見られたり感じられるのは、感覚が若いから。そう僕は感じる。
20年前の技術的な常識や、薬剤師知識は現代では役に立たないものも多い。デザインも然り。
美容師をする以上。教育の場や、学びの場は必要不可欠。
もし、学びを止め、感覚の変化を止めたらどうなるか。
一昔前前の美容師
昭和の美容師、平成の美容師。
なんて言われかねない。
時代の変化のスピードが上がり続ける昨今。その傾向は強くなる一方。
学び続け、変化し続けるしかないんだ。
教育や学びも仕組が必要
教育サロンにも仕組みは必要。
- サロンを使用出来る時間帯
- トレーニング項目
- トレーナーの設置
- トレーニング時のマナー
など、仕組化というか決め事は必要。
そして何時から何時までトレーニングする時間と定めて継続するのか。
トレーニングする目的や、参加、不参加のルールも大事。
少しのズレがやりたくない、係属したくない理由に繋がる。
美容師が美容師として変化し続けるきっかけとしてトレーニング出来る、学べる場所作り。
そこには仕組やルールは必要と感じる。
短期的で急激な変革や成長期より、長期的に考えて細かな変化を続けられる教育してサロンが必要
長時間労働より長期間労働。
この言葉はホリエモンの本に書いてあった一行。
美容室も正にその通りだな。と感じる。実際問題、美容室の営業時間や残業なんて伸びる事はほぼない。
昔、美容室は長時間労働と言われた理由は教育にある。日付が変更するまでトレーニングするのは当たり前。
教材や仕組みが不十分だった事もある。質より量。そんな時代だった。
効率よく、効果的に、そして長期的に学べる環境を今の時代なら容易出来る。
ただ、最低限の時間をトレーニングに当てる事は外せない。
しかし昔のような長時間トレーニング。集中力が続かないトレーニング。時代に不必要なトレーニング。は必要ない。
必要な教育、学びは未来を楽しめる投資のような教育や学び。
最低限必要な基礎技術は学ぶ必要があるけれど、今の時代に『日本髪』を学ぶ人はほぼいない。だけど、今の時代性にあったヘアセットの技術やデザインは学ぶ。
教育や学びって、使うなら場所や、お客様から必要なとされなければ何の為にやってるのかわからなくなるし、楽しくもなんともない。
美容師って本当真面目だし、本来オシャレが好きなひとが集まってるから、創意工夫する力もある。
これからだの教育は効率よく効果的に、そして必要な学びを長期的にすること。
長くてなってしまったけど、教育も学びに対しても、感覚の変化が必要だな。