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ホンダのF1参戦の歴史を肌で感じてきた

MieMu(みえむ)

三重県に住みながら、こんな施設がある事すら知らなかった。

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SUZUKA 夢と挑戦のステージ

ホンダとF1と鈴鹿サーキット IMG_1835

こんな特別展示がやっている事を知ってしまっては、行かないわけにはいかない。

しかも今週の鈴鹿はレースウィーク。

このタイミングで、この展示は素晴らしく車好き男子の心を鷲掴みにします。

特別展示の入場券、¥1,000を支払い、いざ入場。

まず、いきなり展示してあったのはこのマシン!

ホンダRC142

そうです。マン島TTに参戦したホンダのマシンです。

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124cc 最高出力18PS/13,000rpm

昭和34年当時としては、このスペックが世界レベルだったんだと初めてしった。

今のGPマシンが恐ろしくモンスターマシンであることと、時代の進化を感じます。スピードへの飽くなく挑戦ってやつですね。

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そして、我が街鈴鹿が世界に誇るレーシングコース。

鈴鹿サーキット。

そんな鈴鹿サーキット工事中の航空写真。

めっちゃ田舎です。それしか思いませんでした。

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コースデザインも4回も練り直していたとは。個人的には、②の原案とか良さそうですけど。

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けど、この写真がびっくりした。

鈴鹿の1〜2コーナー。この写真を見る限り、鈴鹿市とは思えません。どっかの東南アジアのど田舎?としか思えない。

この田んぼが田舎度合いを物語るのですが、世界屈指のドライバーズサーキットと言われる鈴鹿サーキットが完成した背景には、この田んぼが関係していた!

この話は結構心にジンときた。

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田んぼを潰すな

サーキット建設の際、本田宗一郎は(日本は米が大切であるから)田んぼを潰してはダメだと、強く求めた。そのため、丘陵地をならしてサーキットは作られており、結果として世界にもまれなテクニカルコースとして知られることとなった。

だから、鈴鹿サーキットは色んなレース活動も地元に受け入れられ、今に至るのかと過去をしり納得した。

WIN WINの関係ってやつ。

簡単にことが運ばないからこそ、素晴らしい何かが出来上がる。そんな気にさせられるエピソード。

まだ、入場して間もないのに結構感動モノです。

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でました!

ホンダ初のF1マシン

HONDA RA 272 (1965年)

なんじゃこりゃ?って形をしていますが、れっきとしたF1マシンです。

1500cc V12気筒 世界をあっと言わせたスペシャルエンジン。

バイクのエンジンが125ccだったため、当時のF1マシンのエンジン規定である1500ccを12で割ると125ccとなる発想から思いついた形式のエンジン。

世界のバイク屋がF1エンジンを作るとこうなる。おもしく単純な発想。

けど、このマシンがメキシコGPで優勝しちゃうんやからすごい。

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Williams Honda FW10(1985年)

出ました!ターボ時代のF1マシン。

1500ccターボでありながら、予選時のパワーは1000馬力以上でていたモンスターマシン。

POWERED by HONDAの異名はここからきてんのかもしれない。

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そしてこのマシンは僕のF1好きをスタートさせたあのマシン。

McLaren-Honda MP4/5B (1990年)

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初めてF1を観戦に行った、小学5年生。鈴鹿サーキット。アイルトンセナvsアランプロスト。

鈴鹿の1〜2コーナーでの接触でレース終了。セナがワールドチャンピョンを決めたあのレース。

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その1990年の鈴鹿では、日本人初の表彰台を獲得した、鈴木亜久里が記憶に残っている。

やっぱりこのマシンが一番好き。

フロントノーズの先端をよく見ると「ジャンプ」という文字が!

そう!週刊少年ジャンプがスポンサーについていたんです。


 

アンヘドラルウイング

このフロントウイングが特徴的であり、現代のF1マシンの流れを作ったマシンとでもいいましょうか。

Tyrrell 020(1991年)

日本人初のF1ドラーバー 中嶋悟が最後にドライヴしたマシンでもあります。

このマシンも、かなり印象的で記憶に残っている

 

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BAR Honda 006 (2004年)

このマシンからは、かなりマシンのボディーワークが造形的になってます。ダウンフォースを稼ぐためにいろんな工夫が凝らされた時代。

タイヤがスリックタイヤに溝を入れて路面との接地面積を少なくしスピードダウンをさせようとしたのも懐かしい。

そんなレギュレーションなんか関係なく、スピードアップしていってしまうF1マシンの開発スプードもすごかったな。


 

そして、オールHONDA体制で挑んだマシン

Honda RA 107 (2007年)

スポンサーステッカーが、ブリジストンのみ。

環境問題の重要性を訴えたこのカラーリングデザイン。

myearthdream とネーミングされたマシンは当時衝撃的だった。


 

こうして、歴代のマシンを並べてみると、変化がめっちゃわかります。

その時代で最高の技術を集めたマシンたち。

考え尽くして、デザインされた物はいつ見てもカッコイイ!

ヘアデザインも同じことが言えるかもしれない。

 


 

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